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益子の文化
益子には国指定文化財をはじめ、県、町の指定するものまで、多くの文化財が残っています。
国指定文化財県指定文化財町指定文化財

伝統文化
県指定文化財1234
■ 円通寺一切経塔(昭和33年4月25日)
所在地/益子町大沢1770  所有者/円通寺
円通寺四十世良範上人が文化6年(1809)入山、再興したもので、中世より江戸時代まで文化の中心を成した大沢文庫の面影を伝える建物である。上下層とも三間四面で下層正面および両側に機唐戸を設け左右に花頭窓を開けている。上層は正面一間に板唐戸を設け、左右に丸窓を配しているので、正面の柱間装置が変化に富んでいる。上層は二重扇垂木で露盤上に宝珠を設けている。
■ 西明寺本堂(昭和37年1月9日)
所在地/益子町益子4469  所有者/西明寺
益子勝直によって開扉供養が行われ、元禄14年(1701)大改修で現在の形成になった。柱は円柱で内法貫と頭貫をめぐらし隅柱外方には唐獅子彫刻を取り付け、中備の蟇股は十二支が刻まれている。
内部は中三間が蔀戸、他は引き違い板戸で内外陣に分れ外陣天井は鏡天井で龍の墨絵が描かれている。
内陣は格天井で人物花鳥等が描かれ単彩が施されている。内外陣の欄間は天女奏楽、鶴と仙人、浮舟上の仙人などの彩色彫刻がある。
■ 西明寺鐘楼(昭和50年1月28日)
所在地/益子町益子4469  所有者/西明寺
一層は角柱、二層は円柱で、組み物は三手出組、こぶし型木鼻を設けた古い型の鐘楼である。納札裏墨書「鐘楼供開眼清水寺塔供養同日也」とある。
■ 日下田邸(染色工房併用)(平成8年8月20日)
所在地/益子町城内坂1  所有者/日下田 正
藍染業「日下田紺屋」の住居と作業場を兼ねた建物である。
大戸を入ると左側は藍染めの作業場となっていて72個の藍染め用の甕が整然と並んでいる。甕場の天井は竹のすのこ張りで、その下に桁、梁の木組みが見える。右側は店や居間、納戸となっていて南側は奥座敷となっている。
かつて江戸時代中期から明治時代初期にかけて全国各地に存在し、日本人の衣料の80%を染めた藍染業の盛んだったころの紺屋の様子が窺える。
■ 益子参考館上台(旧濱田庄司邸離れ)(平成14年8月30日)
所在地/益子町大字益子3388  所有者/益子参考館
益子町大字小宅の高野邸にあった分厚い茅屋根で覆われた110坪ほどの重厚な建物で、昭和17年(1942)に来客者の宿泊所とするために現在地に移築した。濱田庄司はこの建物を購入できたことをたいへん喜び、戦争をはさんだ影響もあるが約10年の歳月をかけてていねいに造作を加えた。戦争中は知人の疎開荷物の倉庫、その後は多くの国内外の収集品を納め、結婚するまでは晋作と磯辺棟梁が、その後は棟梁と庄司の弟子が収集品の盗難を防ぐことも兼ねて住居とした。また濱田家を訪れた数多くの来客者には収集品の鑑定場所や宿泊所としても使用した。
■ 絹本著色鮎図(昭和48年11月27日)
所在地/益子町長堤28  所有者/堀中 勇
小泉斐は、明和7年(1770)益子村鹿島神社神宮木村市正の次男に生まれ那須郡両郷村(黒羽町)の小泉家の養子となり、祠宮を継いだ。若い頃京都に往来し島崎雲圃に画を学び鮎の絵を最も得意とする。斐の描いた鮎を水戸徳川公が称讃されたと伝えられ、後に谷文晁の門下となり、有名な鮎の画家として天下に認められた。本図は27匹の鮎が左右に泳いで青みを帯びた背の色、胸部などの黄色の輝きも美しい。これだけの群を描いたものはほかにあまりない。
■ 絹本著色 両界曼荼羅図 二幅(平成14年8月30日)
所在地/益子町大字上大羽945-1  所有者/地蔵院
「両界曼荼羅」は密教の宇宙観を解き表した根本仏画で、厳格な師嗣相伝に基く加持祈祷の礼拝対象となる神秘の週法仏具である。「大日経」に基く胎退蔵界曼荼羅と、「金剛頂経」による金剛界曼荼羅の二幅からなる。本資料「両界曼荼羅」は、宇都宮氏ゆかりの地蔵院所蔵の、永禄十一年(1568)成立の什宝で墨書銘より筆者を宇都宮住螺来雅楽尉と特定できる貴重な歴史資料である。
■ 銅造阿弥陀如来立像・両脇侍(昭和35年10月11日)
所在地/益子町大沢1770  所有者/円通寺
善光寺式阿弥陀三尊で鎌倉時代末期の銅製の鋳造物として特色がある。円通寺の開祖良栄上人がこの三尊像を笈に入れて各地をまわり、円通寺創建時に持参したといわれ、代々の住持の護持仏とされている。背面地付部近くに「大沢山」の陰刻がある。
■ 銅造阿弥陀如来立像(昭和35年10月11日)
所在地/益子町山本1146 所有者/光明寺
阿弥陀如来は、その印から、善光寺式阿弥陀如来として知られている。阿弥陀如来はその面相から、粒の大きい螺髪や髪際、大きくなった袖のひるがえりや足先に近い裳の端の形から、鎌倉時代後期の作と推定される。
 また、眼の線ものびのびとして美しく、唇の表現も写実的であり柔らかい。衣の線も深く流麗である。
■ 木造如意輪観世音菩薩坐像(昭和44年4月25日)
所在地/益子町益子2935  所有者/観音寺
左足を横たえ右足を立てて右肱をその膝に乗せて掌をほほにあてて、思惟には崇高な感じがある。また宝冠、瓔珞、光背の彫刻など精緻を極めている。